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GSのはじまり・・ [GS/A史]

40周年の年なので
すこしGSの歴史を勉強します。
皆様もお付き合い下さい。

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GSのはじまり・・

1965年、シトロエンフランス国内における
市場占有率は30.5パーセントに達し、
翌年には、ヨーロッパ全土の市場占有率が
9.3パーセントに達した。
当時、シトロエンのラインナップは
たった2系列しかなかった。
大衆の足となるベーシックモデル2CVとAMI6、
そしてハイドロニューマチック・サスペンションを
備える複雑で高価なアッパーモデルのDSとIDだ。
乗用車市場の両極端に位置するモデルしか
持っていなかったのにも関わらず、
現行モデルの販売が好調であったため、
高い市場占有率を得ていた。
ここにシトロエンの特異性がある。
だが、プジョーとルノーとのシェア争いは
熾烈の一途をたどっており、
シトロエンの変則的な状況が
いつまでも続くはずはなかった。
こうした環境のなかで、
シトロエンはようやく自社製品系列の真ん中に
ぽっかりと空いた間隙を埋めようと、
中間モデルの開発に着手した。
シトロエン・ファンからも高まる
中間モデルを望む声も無視できなくなっていた。
果たして1970年10月のパリ・サロン
発表になったGSは期待を裏切らない傑作車だった。
145キロが出せる4ドア5人乗りベルリンという
GSの基本的なコンセプト
決まったのは1968年のことだった。

わずか24ヶ月という短い期間で
開発されたGSだったが、
16年もの長きにわたって生産が続き、
累計が250万台にたっするという
2CVに次ぐ偉大な成功作となった。
そうした大記録をうち立てたGSであったが、
少なくとも英語圏のなかでは
DSやSMのようなカリスマ的評価を
得られずに終わった。・・・

(シトロエン革新への挑戦より引用・・)

・・・つづく・・・

GSのはじまり・・(2) [GS/A史]

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GSの販売ターゲットは言うまでもなく
中間所得層のオーナードライバーだったが、
決して保守中道を行く車ではなかった。
どんなに回そうが壊れる気遣いのない
空冷水平対抗4気筒エンジン
高圧オイルがアシストする前輪ディスクブレーキ、
ラック・ピニオン・ステアリング、
自動車高調整機構を備えた
全輪独立ハイドロニューマチック・サスペンション。
もちろん前輪駆動。
量販することが優先課題の車種であるにもかかわらず、
自社が誇る先進設計を満載してしまう所に
シトロエンの真骨頂がある。
端的にいってGSはDSの普及版にほかならず、
高級車のDSでしか得られなかった快適性と
安全性を小型車にももたらしたのだ。
発売当時のGSの価格は、
DSのおよそ半分に過ぎない1万2100フランだった。
果たして1971年、GSはカーオブザイヤーに選ばれた。
「先進技術を臆せず取り入れる高邁な
企業精神を貫きながら、シトロエンは
だれにでも親しまれる車を世に送り込んだ。
GSの登場をもってモーターリングシーンは
大きく転換することになるだろう」と
L.J.Kセトライトは『CAR』誌に記した。

(シトロエン革新への挑戦より引用・・)

・・・つづく・・・

空力的ボディ [GS/A史]

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GSのボディデザインしたのは、
1964年からフラミニオ・ベルトーニの後を
継いだロベール・オプロンだ。
オプロンが手がけたモノコックボディー
Cd=0.36と当時としては例外的に
すぐれた空力特性を誇ったが、
これは世界屈指の傑作とされていたDSをも
上回る優れた数値だった。
GSのボディシェイプの基本となったのは、
ピニンファリーナが1967年に
BMCの依頼を受けて製作した
コンセプトカー、ベルリーナ・アエロディナミカ
であるとしばしば語られているが、
当然ながらシトロエンはこれを否定している。
細部までデザインされながら
虚飾をすべて排したGSのボディは、
エレガンスと現代性のエッセンスから
成り立ったオリジナル・デザインだと
シトロエンは主張している。
事実、GSで始まったモチーフの幾つかは
その後のシトロエンのトレンドとなった。・・

(シトロエン革新への挑戦より引用・・)

・・・つづく・・・

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